「耽溺」という言葉が中学生くらいの頃から定期的に思い出される

日常

耽溺って言葉、知ってますか?

読み方はタンデキです。

何か一つのことに夢中になることを意味します。

 

僕がこの言葉を知ったのは、三浦しをん先生著の「舟を編む」を読んだときでした。

 

さて、この耽溺という単語、

なんかめっちゃ頭良さそうな単語に見えます。

 

にじみ出る文豪感。

 

中学生だった僕はこの単語を「うお~、日常で使ってみてえ!」とおもいました。かっこいいから。

 

それから時が経ち……その欲望は未だ満たされることなく今日に至っております。

 

しかし、この単語、意味は「夢中になる」と同義なので、日常で使おうと思えば割といつでも使えます。

 

でも、僕は最近感じてることがあります。

それは……

やたら難しい単語を使うやつってなんかうぜー

ということです。

 

そういう人いません?

LINEとかで、何でそのワードチョイスなん?クセつよッ!みたいな人。

 

「当然だよね!」とか、「そうだよね!」と言えば良いところをあえて

さもありなん

っていってみたりする人。

 

なんやなんや、古文大好きか?

タイムスリップなのか?

頭いいアッピールなのか?

 

頭の良さは単語じゃなくて内容で魅せていくべきですよ。

高度な内容を簡単に表現する方がよっぽど難しいですもん。

 

というわけですから、日常において「耽溺」という単語を使用するのはとんでもなくアウツ!

 

ということに気が付き、ブログに書き出したので、「耽溺を使いたいな〜」という欲望は無事ショウカされました。

 

そう、ショウカされたのです。

 

で、このショウカを「消化」にすれば一般人、「昇華」にすればイキリ文豪ですよ。

 

みんなLINEで文豪みたいな文章使うのはやめようね!

 

難しすぎる単語を平然と使われると、いちいちグーグル検索をかけるはめになります。

そして、「あれ?この単語知らない僕ってアホの子なんじゃないのか?」と感じ始めます。

病みます。精神に良くありません。

健康でいたい。

 

まあ、そもそも見栄で知ってるふりを装って裏でGoogle検索なんてしないで、その単語なんですか?って素直に聞けいいんですよね。

 

でも、難しい単語を使われたという事実になんかムカつくじゃないですか!

だから、簡単な言葉に言い換えてきてもずっと「じゃあその○○ってなんですか?」と質問をし続けてやることにします。

すると、相手は答えに段々窮してきます。

そこで、すかさず「あなたは自分が無知と言うことを自覚していないのだ、僕は自分が無知だと言うことを自覚している。よって僕はあなたより賢い」

と、言い放ってやるのです。

 

この論法で嫌われためんどくせーやつがソクラテスです。

無知の知ってやつです。

 

僕はムチノチとかより、ムチムチ派です。

 

やっぱ、Googleで解決することにしますわ。

 

ありがとうGoogle。

でも、広告費をだまし取ったことはまだゆるしてないから。