【科学怖い】殆どの人は科学より神様を信じたほうが楽に生きられる

日常

お疲れ様です、お元気ですか。

 

元気といえば、やはり精神面と肉体面の両方が必要ですよね。

しかし、僕は優先されるべきは精神の健康だと思うのです。

 

いくら元気な身体でも、それを動かす精神がだめなら元も子もありません。

健全な精神は健全な肉体に宿る……わけではありません!

健全な精神は健全な肉体に宿れかし、ですからね。

※宿るべきなのに、宿ったらいいなぁ!みたいなニュアンスです。

 

さて、そんな精神の健康ですが、最近はSNSなんかが普及して害されつつあるんじゃないかと思います。

 

なぜ害されるか?

 

原因は知りすぎることにあると思います。

たとえば、インスタグラムで、華美な生活を送ってる人を見て、自身の生活に不足を感じてしまったり。

ツイッターでアホなことをしている人を見て、不快な思いをしたり。

SNSか存在することで、不健全な思考、出来事を目の当たりにする機会も増えましたよね。

さらには、自身を批判するものの意見を知ってしまう機会も増えたのではないでしょうか。

 

でも、人は好奇心が旺盛ですから、いいことでも嫌なことでも、もっと知りたああい!と思ってしまうものです。

 

その結果、有耶無耶な状態を許せなくなり、正解や正しさを追う思考がどんどん加速していってしまいます。

 

しかし、「これが正しい」「正解はこれだ」というものが増えれば増えるほど、想像の余地や行動の余地がなくなり、ゆとりがなくなってしまいます。

 

わからない(知らない)ことって、ときに優しさになるということです。

本題

さて、ここまでは前置きで、ここからが本題です。

なぜこんな話をしたかというと、最近の科学の発展が恐ろしいと思ったからです。

 

何が恐ろしいと思ったかというと、人間の自我を解明し始めてることです。

 

人間の意思はどこに存在するのか、実はそもそもそんなものは存在しないのではないか、ということを科学的にあばいているのです。

 

すごいね!

 

ここで言う、意思とは「自由意思」のことです。

自分自身で自発的に判断し、決定する思考のことですね。

 

でも、この研究が更に進めば、結果によっては自分という存在自体に疑問を抱き続けることになりかねません。

僕は恐ろしくて病んでしまいそうです。

 

科学は我々に利便性を与え、娯楽を与えてくれます。

と、同時に神秘というものを次々と解明していきます。

 

考えてみてください、誰も教えてくれなければ、雨や雪でさえ不思議な存在になりますし、雷とか台風とか竜巻なんて、怖くておしっこ漏らしちゃいますよ。

 

真っ青な空や虹やオーロラ(見たことないけど!)ってめっちゃきれいですよね。

でも、仕組みを知っているのと知らないのでは、知らないほうがより神秘的で荘厳さを感じられるのではないかと思うんです。

 

大昔の人はその仕組みがわからないことを全て「神様がやっとるんや!」で片付けました。

そして、神を信仰し、「神様が見てるから」の精神で健全な行動を心がけました。

 

さて、話は現代に戻り、自分が自分であることは、自分が一番よく知ってて、疑いようのないはずです。

しかし、それが科学によってそれが覆されつつあるかもしれません。

 

科学「自分の行動って自分で決定してると思うじゃん?それ、思い込みで本当は意思なんてないぞ」

怖い。科学怖いよ!

やはり知りすぎるのは怖いと思ってしまいます。

 

そこで僕は考えました。

意思とかそういうのは、神様が設計した解読不能な仕組み説。

だから、科学では永遠に解明できないのです。

解明したつもりでも、それは幻想ということになります。

 

実のところ、我々の本体(魂?)は宇宙のどこかに、巨大な存在として鎮座していて、そこから遠隔操作によって、地球の肉体を動かしてるんです。

脳はその受信機なんですよ。

 

……そういうことにしてくれてたほうが、希望にあふれていて、優しさでいっぱいです。

ド正論突きつけるのやめて!ロジハラよ!ロジハラ!

 

 

漠然と疲れを感じている人。

もしかして、知りすぎていませんか?

わからないことは時に優しさになります。

情報から離れて一人の時間を過ごすことは大事ですよ。

 

 

だから、僕は週休5日してほしい。